プランB
盛岡での7月の設計士との打ち合わせが反映されたプランB、Cが8月の末に送られてきた。
打ち合わせでは明るく開放的な雰囲気、温室は作る気はないので冬の洋蘭の置き場を家の中に確保するなどの希望を提示してあったが、2階の大きな南面に採光窓、広い吹き抜け、蘭を取り込んでおく土間、大きく突き出した片流れの屋根(庇)まで延びる4本の外柱のあるデザインが気に入ってC案を選択した。
家内ともども朝起きると2台のPCを点けて調べ物からレシピまでインターネットに漬かり、午後3~4時から家内はゆっくり夕食の準備をする生活なので、キッチンのそばにPCコーナーがあることも選択の一因であった。
少ない予算での家作りなので、家の収納スペースがどうしても限られてくるのはしょうがないと思っていたが、最初の案からそれを補うべく木造のガレージに物置が付属していてちゃんと収納のことまで考えてくれているとうれしくなった。
北国の家はまずは暖かさ=暖房費の削減、結露対策=給排気がしっかりしていないと暮らしにくい家になってしまう。
暖房は床下にFF式ストーブを一台設置した基礎断熱、全館暖房を採用した。
停止条件で白紙となった大手ハウジングメーカーで建築予定だった家の暖房は蓄熱暖房機5基であったが、高気密高断熱で設計進行中のこの家は一冬で灯油400ℓを目指している。ランニングコスト、初期投資とも格段に安いのはなぜだろうか。
C案はおおむね満足であったが、将来どちらか一人が寝たきりになった場合の居室(当面はクローゼットとして使用)が狭いので広くして欲しい、ということで新たなプランの作成をお願いした。
打ち合わせでは明るく開放的な雰囲気、温室は作る気はないので冬の洋蘭の置き場を家の中に確保するなどの希望を提示してあったが、2階の大きな南面に採光窓、広い吹き抜け、蘭を取り込んでおく土間、大きく突き出した片流れの屋根(庇)まで延びる4本の外柱のあるデザインが気に入ってC案を選択した。
家内ともども朝起きると2台のPCを点けて調べ物からレシピまでインターネットに漬かり、午後3~4時から家内はゆっくり夕食の準備をする生活なので、キッチンのそばにPCコーナーがあることも選択の一因であった。
少ない予算での家作りなので、家の収納スペースがどうしても限られてくるのはしょうがないと思っていたが、最初の案からそれを補うべく木造のガレージに物置が付属していてちゃんと収納のことまで考えてくれているとうれしくなった。
北国の家はまずは暖かさ=暖房費の削減、結露対策=給排気がしっかりしていないと暮らしにくい家になってしまう。
暖房は床下にFF式ストーブを一台設置した基礎断熱、全館暖房を採用した。
停止条件で白紙となった大手ハウジングメーカーで建築予定だった家の暖房は蓄熱暖房機5基であったが、高気密高断熱で設計進行中のこの家は一冬で灯油400ℓを目指している。ランニングコスト、初期投資とも格段に安いのはなぜだろうか。
C案はおおむね満足であったが、将来どちらか一人が寝たきりになった場合の居室(当面はクローゼットとして使用)が狭いので広くして欲しい、ということで新たなプランの作成をお願いした。
スポンサーサイト
いきさつ、その2
いままで住んだ家はなんとなく安心だろうと大手住宅メーカーに依頼していたが、住宅関係の本を買って読むうちいわゆる地方の工務店でもQ値やC値など大手以上に高い性能の家を建てていることを知った。
2009年4月には妻と「今度の家は無垢の木の家にしようか」ということになり、ふる里盛岡の設計士や工務店をインターネットで探し始めた。
最終的にかたぎしゆみえ設計事務所とM舎という工務店を選定してメールでのやり取りをし、たたき台となる設計プランをお願いした。妻と二人、7月に大人の休日倶楽部の切符を買い盛岡へ。駅でレンタカーを借り2社を訪問して間取りプランを前に話しを聞いた。
M舎は事務所兼お住まいがショールームになっていて、梁、床、階段、板壁、テーブルまで岩手産の無垢材、古くから伝わる継ぎ手や仕口が随所に見え、こんな家が建ったらいいなあと感動した。
滝沢村にあるかたぎしゆみえ設計事務所では予め伝えてあったこちらの希望やアンケートをもとに1回目の設計までは無料という間取りプランAを見せてもらった。
根掘り葉掘り暮らしぶりを聞くだけあって実によく考えられた間取りで、これなら設計料を払う価値は十二分あると納得、後に設計監査業務の契約を交わすことにした。その場でプランAをベースに話し合いをおこない、明るい部屋にすべく吹き抜けをおおきくするなど、更なる希望を述べて次のプランの提案を待つことにした。
その後、設計した岩手材無垢の家や見積もり依頼候補の一つとなっている雫石町の工務店が建てたお宅にもお邪魔して内部を見せていただいた。なんと卒業した学部の教授のお宅であった。
最終的に間取りや仕様が決まったら数社から施工見積もりをとって妥当なものを選ぶとのこと。
特筆すべきはそのQ>1の断熱性能と床下暖房で寒冷地の寒さを低ランニングコストで乗り切る設計である。
やはり設計は設計士、施工は工務店とそれぞれ強みを生かし、大手のハウジングメーカーには真似のできない家作りをしたいと強く感じた。
2009年4月には妻と「今度の家は無垢の木の家にしようか」ということになり、ふる里盛岡の設計士や工務店をインターネットで探し始めた。
最終的にかたぎしゆみえ設計事務所とM舎という工務店を選定してメールでのやり取りをし、たたき台となる設計プランをお願いした。妻と二人、7月に大人の休日倶楽部の切符を買い盛岡へ。駅でレンタカーを借り2社を訪問して間取りプランを前に話しを聞いた。
M舎は事務所兼お住まいがショールームになっていて、梁、床、階段、板壁、テーブルまで岩手産の無垢材、古くから伝わる継ぎ手や仕口が随所に見え、こんな家が建ったらいいなあと感動した。
滝沢村にあるかたぎしゆみえ設計事務所では予め伝えてあったこちらの希望やアンケートをもとに1回目の設計までは無料という間取りプランAを見せてもらった。
根掘り葉掘り暮らしぶりを聞くだけあって実によく考えられた間取りで、これなら設計料を払う価値は十二分あると納得、後に設計監査業務の契約を交わすことにした。その場でプランAをベースに話し合いをおこない、明るい部屋にすべく吹き抜けをおおきくするなど、更なる希望を述べて次のプランの提案を待つことにした。
その後、設計した岩手材無垢の家や見積もり依頼候補の一つとなっている雫石町の工務店が建てたお宅にもお邪魔して内部を見せていただいた。なんと卒業した学部の教授のお宅であった。
最終的に間取りや仕様が決まったら数社から施工見積もりをとって妥当なものを選ぶとのこと。
特筆すべきはそのQ>1の断熱性能と床下暖房で寒冷地の寒さを低ランニングコストで乗り切る設計である。
やはり設計は設計士、施工は工務店とそれぞれ強みを生かし、大手のハウジングメーカーには真似のできない家作りをしたいと強く感じた。
いきさつ
2011年の退職を控え、いずれはごみごみした埼玉から故郷の岩手へ帰って暮らそうと妻と話していた。
たまたま今は空き家になっている盛岡の実家に帰った際、真向かいの土地が売りに出ていたので購入した。
埼玉とは違い土地の価格がびっくりするほど安いせいもあった。
2008年夏ごろ、埼玉の住宅展示場をあちこち見て歩き大手ハウジングメーカー2社に話を持ち込んだ。
1社は埼玉の若い営業担当がつき、他方は盛岡の中堅営業で何度か埼玉に打ち合わせに来ていただいた。それぞれ土地調査を依頼し設計段階になったが、若い営業の方は何度かプランを書き直してもらったがしっくり来ないのでお断りした。
残る1社とは着々とプランが進み浦和のショールームでの打ち合わせを重ね、着工は2011年春という内容でついに契約を結んだ。
リーマンショックもあり条件が整えば2009年3月で退職も考えていたので、それを契約の停止条件としたが、運良くというか、悪くというか会社にはそう深刻な影響も出ず3月退職はなくなり契約は2万円の印紙代が消えただけで3月末で白紙となってしまった。
この2社の営業とお付き合いをして感じたのは会社の風土なのか、経験の差というか、買う買わないは商品もさることながらどうやってお客の意向に沿おうかという努力、あるいは適切な代案を常に用意できるか、いつの間にこんな代案を用意したのだろうと驚くスピード感など、同じサラリーマンとしてこうありたいと思える仕事ぶりであった。
契約したのは全国でも指折りの営業マンだと後で同社のデザイナーから教えられた。
たまたま今は空き家になっている盛岡の実家に帰った際、真向かいの土地が売りに出ていたので購入した。
埼玉とは違い土地の価格がびっくりするほど安いせいもあった。
2008年夏ごろ、埼玉の住宅展示場をあちこち見て歩き大手ハウジングメーカー2社に話を持ち込んだ。
1社は埼玉の若い営業担当がつき、他方は盛岡の中堅営業で何度か埼玉に打ち合わせに来ていただいた。それぞれ土地調査を依頼し設計段階になったが、若い営業の方は何度かプランを書き直してもらったがしっくり来ないのでお断りした。
残る1社とは着々とプランが進み浦和のショールームでの打ち合わせを重ね、着工は2011年春という内容でついに契約を結んだ。
リーマンショックもあり条件が整えば2009年3月で退職も考えていたので、それを契約の停止条件としたが、運良くというか、悪くというか会社にはそう深刻な影響も出ず3月退職はなくなり契約は2万円の印紙代が消えただけで3月末で白紙となってしまった。
この2社の営業とお付き合いをして感じたのは会社の風土なのか、経験の差というか、買う買わないは商品もさることながらどうやってお客の意向に沿おうかという努力、あるいは適切な代案を常に用意できるか、いつの間にこんな代案を用意したのだろうと驚くスピード感など、同じサラリーマンとしてこうありたいと思える仕事ぶりであった。
契約したのは全国でも指折りの営業マンだと後で同社のデザイナーから教えられた。